【23週での死産・・・突然の出来事でした】
まさか、自分が死産を体験するなんて思ってもいませんでした。
初期の頃は時々出血もあって慌てて病院にも行きましたが、安静にと心がけ乗り切ることが出来ました。
つわりも辛かったけど、それよりも妊娠出来たことが嬉しかった。
安定期に入って、徐々にマタニテの服なども買い足して、一人目の時に買おうか買うまいか迷ったベビーグッズを友人が貸してくれて喜んでいました。
夏には賑やかになるな〜と・・・。
息子もあれを教えてあげるんだ、とかママがこうする時手伝ってあげるね、とか、寝る時の並び順まで考えて兄弟が出来ることをとても喜んでいました。
【4月4日、家族で安産祈願を受ける】
息子の時も群馬の赤城神社へ安産祈願に行ったので、今回も赤城神社へ行きました。
今回、5ヶ月目の戌の日は、赤城神社は雪深く山道だし行くのは危ないと判断して、6ヶ月目の休日に特に戌の日や大安は気にせず行く事にしました。
前回と同じく、自分の妊婦帯やショーツを白い紙袋に入れて持って行き、それも一緒に祈願してもらいました。
終了後、お守り、干支の絵皿、赤城神社の腹帯、日本酒などを頂き、母子共に健康で元気な赤ちゃんが生まれますように。と書き、一緒に祈願した絵馬も掛けてきました。
大沼はまだ氷が張っていて寒かったけど、真冬の服装で行ったので大丈夫でした。
祈願したらすぐ車に戻り、寄り道せずに帰宅しました。
その日の夜、祈願した時に頂いた腹帯を巻きました。
かなり長いので珍しいのか、巻くのをすすんで手伝う息子。
上手く巻けなくてゆるゆるだけど、冷え防止になるし、まぁ気持ちだから・・・と思ってそのまま寝ました。
就寝中、胎動が激しい夢を見ました。
(後になって思ったのですが、これは夢じゃなかったんだと思います)
次の朝、胎動を全く感じない・・・
食事の後はいつもよく動くので、朝食を食べれば動くだろうと思いましたが、全く胎動が無ありません。
妊婦が感じる胎動は実際の40%ほどだと言うし・・・気のせいかな?とも思う。
次の日も様子を見ましたが動く気配がありません。
すごく気になりながらも、7日が幼稚園の進級式と役員決めなので、その後に病院に行こうと実家に息子を預ける旨の連絡をしました。
しかし気になって、進級式である7日に幼稚園を休ませ、病院へ連絡してから実家へ息子を預け、産科外来へ行きました。
【信じたくない現実】
病院に着いてすぐに呼ばれ、モニター室で看護師が心音を拾おうとするが音が拾えない。
もっとよく拾える機械を持ってくるねと言い、別の機械を持って来たけどそっちでも拾えない。
この時点でやっぱりダメなんだ・・・と思いました。
すぐに診察室が空き、診察室に移動する時、看護師が 「気のせいであってほしい」 とポツリと言いました。
診察した先生は見た事のない優しそうな女医さん。
いつものようにお腹を出してエコーをすると、明らかに赤ちゃんが動いていないのが分かりました。
画像が静止画の様にピタッと動いていませんでした。
先生が心臓を映し、全く動いていないのが素人の私にも分かりました。
「動いてないですね」 と私。
「そうですね・・・今・・・動いてないですね・・・」 と女医。
私が先に 「動いてないですね」 と言うのを先生は待っているようでした。
隣の診察室から准教授が駆けつけてきて、一緒にモニターを見ながら色々話していました。
前回帝王切開だったので私が、 「帝王切開で出すんですか?」 と言うと、
「今どっちが良いかリスクを考えながら決めますからね」 みたいな返事が返ってきた。
今まで冷静を保っていた私も、だんだん涙が出てきて、とうとう堪えきれなくなった。
子宮口の状態などを診るとのことで、号泣しながら内診代へ移動し、内診。
看護師が腕をさすって、ただうなずいて慰めてくれる。
前回帝王切開だったこと、子宮頚管も長くしっかり閉じていることから、陣痛促進剤のリスクの方が高いと判断され、帝王切開に決定。
内診が終わって、帝王切開で生むことに決まったと改めて告げられる。
また、亡くなった赤ちゃんを長時間そのままにしておくと、母胎が危険な状態になると説明を受けた。
「家族の方に連絡取れますか?手術の説明をしないといけないから、旦那さんに来てもらえますか?」
と言われ、泣きながら夫に携帯で電話をした。
夫が職場からすぐに来ることになった。
朝、夫も 「やばいね」 と言っていたから、半分覚悟は出来ていたんだと思う。
両親にも連絡をして、一度は来なくてもいいと言ったけど、心配だからとすぐに息子を連れて来ることになった。
病室は個室を手配してくれた。(お金が・・・と思ったけど)
私が明日の朝一番の手術をするために、明日の全ての手術をずらしてくれた。
「大丈夫だと思うけど、もしも明日までに体調が悪くなることがあれば、夜中にでも帝王切開します」 と言われた。
亡くなった赤ちゃんから分解酵素などが母胎に回ると良くないらしい。
しかし、そのせいで重篤になった妊婦さんはこの病院では今までに居ないと言っていた。
身内が来る間に、採血、心電図、胸部レントゲンの術前検査をすませ、昼食をとるように言われる。
泣きっ面で検査に回り、検査終了後に、両親と息子が着いた。
前から歩いてくる母親を見つけたら、また涙が溢れてきた。
母親も泣いていた。
私が泣くのが嫌いな息子は、変な苦笑いをしていた。
みんなお昼を食べないで駆けつけたので、病院内のカフェテリアで昼食をとった。
私は夜から絶食だと聞いていたので、無理して食べた。
泣きながら食べていたので味も何が何だか分からない。
夫は渋滞に巻き込まれだいぶ遅く着いた。
夫が到着後、二人で産科外来に行き入院と手術の説明を受ける。
高いなーと思いながらも、薦められるまま個室に入院。
明日のオペは8時50分入室と決まり、家族は8時までには来るようにと言われる。
夜、「明日は早めに来るね」 と言い、両親が帰った。
夕食は出ないと聞いていたが、先生の判断で後から出ることになった。
息子と夫はコンビニで買ってきたご飯を病室で一緒に食べた。
個室は高いけど、家族も好き勝手に部屋にいられるし、子供が騒いでも迷惑にならないし良かった。
それに大部屋だと、棺だとか、遺骨だとかいう会話もしづらいし、こんなに泣けなかったと思う。
普通の出産で個室に入院したかったな・・・。
夕食後、夫と息子が帰った後、翌朝の手術に向けて麻酔科医が説明に来た。
私はいくつか麻酔を経験しているので、どっちがどのように楽か、辛いかを知っているよね?と麻酔の方法を選ばせてくれた。
全身麻酔より腰からの麻酔が後々楽だったので、前回の出産と同じ腰からの麻酔にしてもらった。
深夜、泣き過ぎによる頭痛と不安で眠れなくて睡眠薬を出してもらった。
おかげで朝方は眠れた。
【帝王切開当日】
8日、朝8時には両親と息子と夫が集まり、50分オペ室入室。
オペ室の大きなドアがに近づくにつれ、また涙が止まらなくなった。
中には何室もオペ室がある。
ここの中央オペ室で手術するのもかれこれ3回目。
手術台に上がっても泣きじゃっくり状態で恥ずかしかった。
私と赤ちゃんが引き離されてしまうんだ、と怖くなった。
「赤ちゃんに会いますか?」
と言われたので、「会います」 と答える。
赤ちゃんと会った後でも、寝たいときに眠ることも出来ますから、寝たくなったら言って下さいね、と言われる。
血圧計や心電図装置が付けられ、手の甲の血管に局所麻酔した後に点滴を入れ、腰にも局所麻酔した後チューブを入れて麻酔。
すぐに胸のあたりまで麻酔が効いてきて、温かい感じと痺れる感じがあり、どうやっても足が動かない。
前回より麻酔の効きが良すぎて、息苦しい感じと手の軽い痺れがあり何度か麻酔科医に言い、手に力が入るかなど確かめた。
呼吸はちゃんと出来ているから大丈夫ですよ。と説明を受ける。
しばらくして看護師に 「赤ちゃん生まれましたからね」 と言われる。
産声のないオペ室。
前回は大きな産声が聞こえて、スタッフのみんなも祝福してくれて明るいオペ室だったのに。
赤ちゃんがコットで左横に運ばれてきて、看護師が抱っこで顔の近くに連れて来てくれました。
482グラム身長30センチ、お兄ちゃんにも夫にも似てる男の子でした。
少し開いた小さな口からは舌が少し見えていて、息子がオッパイを飲みそのまま寝ちゃった時の顔を思い出しました。
全身見たかったけど、包んであるタオルを全部とらないと見えなそうだし、小さくて持ちずらそうだったので言いませんでした。
触ってもいいとのことで、右側の顔から頭の辺りを触りました。
ふわふわと柔らかくて、可愛いと思いました。
胸の上にも赤ちゃんを置いてくれ、重さを感じることができました。
手術自体は50分程度。
その後は病室に戻り割とすぐに足が動くようになり、麻酔と鎮痛剤の副作用で上半身に痒みが。
上の子の時もそういえば痒かったのを思い出しました。
夕方には傷の痛みと収縮痛が強くなりましたが、少しでも歩けたら水を飲めるとの事で、室内を歩行。点滴のスタンドに捕まり看護師に支えられフラフラながらも歩けました。
寝る前に、妊婦検診でお世話になっていた教授が部屋に来てくれました。
「大変だったね・・・楽しみだったのにね・・・」 と。
先生の顔を見たらまた涙が出てきました。
寝る時に筋肉注射の痛み止めを打ってもらいました。
毎度同じくフワフワして酔っ払ったように世界が回り、痛みは軽くなりません。
時間を置いて違う鎮痛剤を注射してもらいましたが、フワフワしないものの痛みには効かず眠くなるだけ。
生まれた日は、夫と葬儀業者との話し合いやら、見積もりもらったりで夫はバタバタしてました。
帰宅後、夫が調べた結果、病院に常駐している業者は値段がかなり高いことが分かり、棺や骨壺などは他の業者に頼むことにしました。
病院にいる業者は、役所へ行ったりする手数料だけで7万5千円ってなってました。
普通は他を調べる余裕なんて無くて、そのまま頼んでしまうでしょうが。
【手術の翌日】
お昼から食事開始で普通食だっので、鎮痛剤(ロキソプロフェン)を飲み、やっと痛みが楽になりました。
楽になったところで、室外の廊下を歩行。
尿管と心電図装置、酸素濃度の装置が外れ身軽に。
水色の手術着からパジャマになりました。
看護師が尿管を外す道具を取りに行っている間に、以前ずっとお世話になってた先生が病室に顔を出してくれました。
今は病院を開業したのでいませんが、時々この病院には来るそうです。
先生は 「今、そこで電子カルテを見てたんだけど・・・びっくりしたよ・・・残念だったね・・・」 と独特の優しい口調で言いました。
話の途中でロビーで待っていた息子が、「ママ−!まだー?」 とドアから顔を出し、そのうち看護師が戻ってきてしまい、先生と看護師で 「いいですよ」 「いいですよ」 なんて譲り合っていましたが、結局オロオロしながら先生は帰ってしまいました。
もっと話したいことあったのになぁ。
夜には点滴も取れて身軽になりました。
【手術から2日目】
身軽になったせいか、痛みもピークを超えたせいか、今までよりは眠れました。
母親に頼んで、息子のお下がりの肌着と帽子、スタイ、ミトン、靴下のそれぞれ一番綺麗なものと、新しい産着と帽子を買って持ってきてもらいました。
一緒に燃やすんじゃなくてちゃんと着せてあげたかったな…と想像していたらまた涙か溢れてきて止まりませんでした。
泣くと力が入り傷も痛み、冷やしつつも母乳は出るし、私はボロボロでした。
【手術から3日目】
夫が小さな棺と小さな骨壺を持って病院に来ました。
息子と一緒に折り紙に手紙を書いて、鶴や風船やチューリップ、ハートを折って、ベビー服や赤ちゃんのガラガラ(おもちゃ)、お花を一緒に入れてあげました。
赤ちゃんのお顔は真横を向いてしまっていて、ガーゼがくっついてしまっているようで、触ると壊れてしまいそうだったので、正面の顔は見られませんでした。
手術室で見た時は、寝たままだったし麻酔の影響かボーッとしていたので、ちゃんともう一度、顔が見たかった。
私は外出許可書を貰うにしてもそこまで回復していないので、火葬の立ち会いは夫にお願いしました。
赤ちゃんの遺骨は無くなってしまうこともあるそうですが、時間をかけて丁寧に焼いてくれ、遺骨は残りました。
私の体調は、縦に切った傷の右側の中が痛くて、この場所の痛みは鎮痛剤が効かない。
やはり手術の時に、大きく広げた筋肉や筋が痛いんだろうとの事。
夕方から頭痛もあったし、シャワー許可が出たけど明日にした。
傷のテープも剥がした。
夫と赤ちゃんを送り出した後、実家の両親が車での間、息子と二人でした。
息子が個室のトイレに行った後、手を洗うのにも蛇口に届かず、私も痛みで抱っこ出来ないので、廊下にあるアルコールで消毒をしに行ったところ、息子がドアのちょうつがい側に手を挟んでしまいました。
指の皮が剥け出血し、押しつぶされて変色していました。
周りの人にも痛くないとケロッとしていて (気が動転して) 全く泣かなかったらしいですが、私の顔を見たとたん大泣きしました。
それを見たギャラリーが 「ママ見たら泣いちゃった」 大笑いしていました。
丁度回診で通りがかった看護師や医師達が近くにいたのでドアが閉まりきらないで済みましたが、一応診てもらった方が良いとのことで、私は車いすを押してもらい、息子は血の気の引いた真っ白な顔と唇をして、泣きながら歩いて(途中から私の足の間に座って)、日曜日だったので時間外外来で診てもらいました。
レントゲンを撮ると幸いにも骨には異常が無く安心しました。
骨折したかと思って本当にビックリしました。
【手術から4日目】
相変わらず傷の右側が痛いが、回診に来た先生に日が経つにつれ必ず治るからね、と言われる。
これさえなければ歩くのも寝返りも、もう少しマシなのに。
今朝の採血も失敗の連続で看護師が代わってやっとできた。
血管が細いと、ろくな事無い。
思った通り貧血が進んでて、鉄剤フェロミアと便秘薬マグラックスが処方された。
今日も両親と息子が来てくれ、暇な時間を楽しく過ごせた。
シャワーも両親がいる間に浴びました。
シャワーのためにお昼に痛み止めを飲んで正解だった。
妊婦検診時、主に診てもらっていた先生が病室に来てくれた。
やっぱりまた泣いてしまった。
【手術から5日目】
朝から胃の横痛、排便痛で痛みと戦って凄く辛かった。
右肩痛と右横隔膜痛もある。
便やガスは出てるけど腸が苦しい。
鉄剤フェロミアと便秘薬マグラックスのせい?
それとも時々起こる 「腸閉塞一歩手前状態」 なのだろうか?
ロキソプロフェンを飲んで多少は楽になったけど、朝ご飯はスープだけにしておいた。
お昼にはだいぶ良くなり、ご飯もよく噛むように意識して全部食べた。
今日も午後から両親と息子が来てくれ、息子は塗り絵のプレゼントをくれた。
じいじがドラえもんのキャラクターたちの絵をテレビ録画を見て書き、色を息子が塗り、だいすきな まま へ と書いてあった。
嬉しいプレゼントだった。
夕方、退院診察。
子宮に悪露が溜まってるらしく、チューブを入れて吸い出したり、カンシを使い処置した。
久々に子宮口をいじられる嫌ーな痛みを味わった。
今後の相談などもして、傷口の針を15個抜いた。
傷の右側の痛みは多少良い気もする。
【手術から6日目 退院】
まだまだ体調はキツイのに退院。
息子のこととか何も心配がなければあと1週間くらい入院していたい気持ちだった。
一度自宅に戻って、遺骨に会ってから実家に行った。
まだ夢を見ている様で信じられない。
ちゃんと生んであげられなくてごめんね。
お腹にいたあの子がいなくなって、目の前にある遺骨になってしまったことが信じられなかった。
私のお腹はもう空っぽなんだ・・・。
そう思いながらも、本当に自分に起こったことなのか現実なのか分からない感じだった。
(入院費用は出産育児一時金で賄えるくらいでしたが、個室入院だったので個室分だけオーバーしました)
【死産した年の夏・・・出産予定日頃】
息子の通う幼稚園のママの中で、同じ時期に生まれるんだろうな・・・と思う妊婦さんが数人いました。
私が死産した後、幼稚園の送迎時に会うたびにそのママたちのお腹は大きくなっていって、その姿を見ることがとても辛かったです。
そして、そのママたちを幼稚園で見かけなくなって、おばあちゃんがお迎えに来るようになって、先生とおばあちゃんが、「生まれたんですか?」「生まれました〜」
と楽しそうにしている会話・・・。
本当だったら私も今頃、家族が増えた喜びを味わっているはずなのに!とめちゃくちゃ辛かったです。
夫も、いつも一緒のママ友も、きっと私がこんなに辛い気持ちで幼稚園の送迎をしていることは知らないと思います。
幼稚園でも 「おはようございまーす!」 なんてニコニコ元気に振る舞っているけど、本当は幼稚園に行きたくないくらい。
息子は時々思い出したように、「今、赤ちゃん何やってるかね?」 なんて言います。
死産した少し後は、「ママ、さよなら。ありがとう」(下記の本です)を読んで気持ちが軽くなったのに、出産予定日頃になって、想像以上に辛い気持ちがこみ上げてきた私です・・・もっと前向きに!ってムチ打って頑張ります。
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死産を経験したママへ
残念ながら死産してしまい、このサイトに辿り着いた方、心中お察し申し上げます。
死産を経験したママは、自分を責めてしまう方も少なくないと思います。
私もそうでした。
私のどこが、なにがいけなかったのか、ちゃんと産んであげられなかったことを申し訳なく思い、眠れず辛い毎日でした。
気持ちが少し落ち着いてからこの本を読んでみて、もっともっと気持ちが楽になりました。
お空へ帰ってしまった赤ちゃんに対し、ごめんねという気持ちよりも、ありがとう という気持ちでいっぱいになりました。
これは私個人の気持ちですが、死産を経験したママにぜひ読んでもらいたい1冊です。
赤ちゃんのことを想い続けながらも、元気になれると思います。
5歳の息子は、
『この本のタイトル見たら涙が出ちゃったよ。』
と言っていました。
簡単に本の説明をしたら、
『子供はみんなママが大好きなんだね』
って言いました。
ママのためにも、お空へ帰った赤ちゃんの兄弟にとっても良い本だと思います。
私の水子供養体験記はこちらです
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